横浜市幼稚園協会

子育て応援団 〜絵本の散歩道〜

NO.170  『 ここが家だ−ベン・シャーンの第5福竜丸− 』
絵 ベン・シャーン  構成・文 アーサー・ビナード 集英社

「水俣病」訴訟のニュースを見ていた時のことです。「生物的解決」という言葉を聞き、最初はそれがどういう意味なのか解りませんでした。そして、その後の解説の中で「生物的解決」というのは、責任を明確にしないままずるずると時間を引き延ばし、被害を受けた人たちが亡くなるのを待つという意味であることを知った時には、何とも虚しい気持ちになりました。

第5福竜丸がビキニ環礁で行われた水爆実験で被爆してから50年以上が過ぎました。第5福竜丸自体は、夢の島にある「都立第5福竜丸展示館」の中で歴史を語り継いでいます。それでも、当時を知る人、語る人は次第に少なくなってきました。

今回紹介する絵本は、アメリカを代表する画家であるベン・シャーンが、第5福竜丸で被爆し、放射能症で亡くなった久保山愛吉さんを主人公にして描いた『LUCKY  DRAGON』(「福竜」を英語にするとこうなるのでしょう)の連作をもとに、アーサー・ビナードが言葉を添え、絵本に構成したものです。

表紙は『THAT FRIDAY:YAIZU』と題された絵。第5福竜丸が焼津を出港した1954年1月22日の金曜日を指すのでしょう。絵の右端に描かれている水爆の恐怖をイメージする竜とも魔物とも思えるものが折り返された部分に隠されているのは、希望に満ちた船出の日には、すでに恐怖が忍び寄っていたことが意図されているのでしょうか。そして、鎮魂の思いを込めたゆりの花が、見返し一面に描かれています。

中表紙に掲げられたタイトルには、ベン・シャーンの版画集から『THE SEA ITSELF』という作品が添えられていて、巻末には、リルケの『マルテの手記』より、「一行の詩のためには…」との解説が記されています。『マルテの手記』を読むと、「(前略)詩は本当は経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいてくるのが見える別離。?(中略)?さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過ごした一日。海ベりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。?(中略)?追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名前のわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生まれてくるのだ。(後略)」(大山定一訳 新潮社版)と語られています。

このように、第5福竜丸の記憶や核兵器への恐怖が単なる出来事や知識ではなく、それらが僕らの血となり、目となり、表情となり、もはや僕ら自身と区別することができなくならなければ、人間は核兵器と決別することができないのでしょうか。核爆弾が、どこか遥か遠くの海や砂漠で爆発したとしても、放射能を含んだ塵は、時間をかけ、少しずつ私たちの上に降り注いできます。「ここが家だ」という言葉は、こうした思いの中からぽっかり生まれ出た、一編の詩の最初の言葉であるとともに、この地球に、核兵器はあってはならないという、この絵本の作成に関わった人たちによる宣言に他ならないのです。(S.T)

ここが家だ−ベン・シャーンの第5福竜丸−

ここが家だ−ベン・シャーンの第5福竜丸−

絵本インデックスへ戻る。