庄内神社が現在の地に御鎮座なりましたのは大正元年10月であります。それまでは各大字(各村)に祀られていましたが、明治39年8月勅令第220号により七村社を合祀し、社号は一方に偏ることなく、又将来崇敬上のことも考え村名を用いて庄内神社と改称しました。そして現在の地を境内地と定め、旧社殿及び社務所並びに鳥居・石灯篭・狛犬を移築し、大正元年10月16日浄闇、七社即ち八幡社三社、稲荷社三社、稜威(みいつ)天王社の御霊代(みたましろ)(御神体)
を遷座し、翌17日正遷座祭を執行し以来この日を大祭として現在にいたっております。
御本殿は銅板葺き流れ造り、拝殿は銅板葺き入母屋(いりもや)造りとなっております。なお、拝殿につきましては、昭和37年に合祀50年を記念して改築されました。
庄内の街は戦後めざましい発展を遂げましたが、庄内神社は庄内地区の総氏神として五穀豊穣・商工業繁栄・家内安全・縁結び・健康長寿・厄除開運・安産の守護神として庄内地区はもとより、その他の地区の方からも広く崇敬されております。
なお、平成24年に合祀百年を迎え、各種の記念事業や記念行事がとり行われました。
合祀前の各神社由来 (大正5年1月発刊の庄内村誌より抜粋)
大字野田(のだ)
八幡神社
正保元年(1644年)此地に柱ノ宮に奉祀せし生島諸太夫の子孫移住し牛頭天王を勧請奉祀し以て氏神とせり。正保2年(1645年)社頭に光明山南昌禅庵を建て宮守りの寺とす。現今南昌庵即ち是なり。同神社什器に紀元2325年寛文2年(1662年)霊元天皇時代に奉納せしものあるを以て今を距ること251年前なること推知するに足れり。
大字牛立(うしだて)
八幡神社
元牛頭天王を奉祀せしを以て村号を牛立と称すとか伝唱す。上古は稲荷大神を奉祀せしも織田信長暴威を揮い神社仏閣を破逆し余すところなかりしを以て、同氏の敬神牛頭天王を祀るに至り、後石清水八幡宮より御分霊を勧請し改祀す。是時明正天皇寛永2年(1625年)寅9月今を去る287年なり。
大字島江(しまえ)
稲荷神社
宝暦4年(1754年)卯年書上書に曰く、「嘉吉年間(1441〜1444年)椋橋荘島江依霊夢平安伏見稲荷大社祀御分霊此地芦叢生沼有水僅五歩有丘而巳。」現今地形を按するに当時の実況を偲ぶに余あり。
大字菰江(こもえ)
稜威天王社
由緒縁起によれば、人皇90代亀山天皇の御宇文永年中(1264〜1274年)の御勧請にして五穀豊饒安産擁護を主り給い、神託により米穀を精するに足踏碓を用いず四足ある肉食を禁じられたるを以て、同大字の者は今尚堅く此禁を厳守し居れり不思議なる哉。古来より同大字に於て難産に罹りし者一人もなかりしと。
大字洲到止(すどうし)
八幡神社
勧請末祥なるも奉納せし什器より見れば、紀元2419年桃園天皇宝暦8年(1758年)にして今を距ること157年なり。
大字島田(しまだ)
稲生神社
豊島郡誌に曰く「稲生神社島田村にあり(旧右島堂村と云う)姓氏録右京皇別曰く、神八井耳命後胤五世孫武恵賀前孫中臣子賜号島田也此祭神神八井耳命ならん。」
元禄11年(1698年)8月地頭へ書上書に曰く、「一除地稲生神社勧請はニ条帝の御宇長寛2年(1164年)平安城伏見稲荷之大社より勧請し、草庵の境内に奉祀云々」とあり、前記元禄11年の上書に草庵云々とあるを見れば神社に上古より草庵ありて宮守りを掌りたるものの如し。
大字庄本新家(しょうもとしんけ)
一名黄金の森。保食神社
同部落北隅に丘陵あり、其の嶺に祭祀鎮守神たりしも今は庄内神社に合祀せり。此地土饅頭にして陵墓の形を具え往昔よりの伝説によれば黄金の鶏埋没しあり正月元旦には一声に高く鳴くという。神社合祀後地主開墾せんとて地を掘りたるに土中より本朝上古の土器斎瓶(祭器)の破片数多出せり。(鑑定によれば考古学者凡千四五百年以前の物又波形状の朝鮮土器破片をも出す)本郡史跡調査会員出張あり、目下調査中に属するを以て不明なるも、上古椋橋部連居住せし地なるを以て同種族に関係ある遺跡ならんと思推す。
以上、大正5年1月発刊の庄内村誌より原文のまま。( )内の数字は西暦で後に書き足したもの。
境内神社
少彦名神社[すくなひこなじんじゃ](大黒社)
●御祭神 少彦名命・大己貴命・天照大神・住吉大神
●御神徳 健康長寿・厄除開運・国土守護・縁結び
蛭子神社[ひるこじんじゃ](恵比須社)
御祭神 蛭子命・事代主神
●御神徳 福徳円満・商工業繁栄・開運
筆  塚
高さ90センチ、幅80センチ、奥行き60センチ。白御影石の台座の上に書物を開いた形の黒御影石を置いて「筆塚」の銘を彫った。手前には白や黒、茶色の御影石で和紙と文鎮、鉛筆、万年筆、シャープペンシルをかたどった石を配置しています。古くなった筆、万年筆、シャープペンシルを納める箱があります。
学力向上や技芸上達の願いを込めて筆を奉納すると共に子供達に物を大切にする心も養ってほしいとの願いを込めています。
毎年1月4日に、納筆祭が執り行なわれます。